渡邉理佐さんご卒業から考えるオタクの習性

突然ですが、皆さんには何かを収集したり、ハマったりという趣味はありますか?
男性だとなんかのガジェットだったり、
鉄道、アニメ、漫画等々何かしらオタク癖がある人って多いですよね。
私はあんまり何かをコレクションしたり、追いかけたりということはないタイプなので、正直オタクと言われる人の気持ちがあんまり分からなかったんですよね。

そう、渡邉理佐さんが櫻坂46を卒業するまでは。

私は以前から、知り合いの影響もあり、やんわり欅坂46そして櫻坂46の楽曲を聞いていて、冠番組の「欅って書けない?」や「そこ曲がったら櫻坂」も視聴していました。
ただ、毎回ライブや握手会(今はオンラインですが)に応募するほどではなく、所謂「ドルオタ」という方と比較すると非常にライトなファンでした。

そんな私がついに先日の日曜日、初期からの一期生メンバーである渡邉理佐の卒業コンサートのライブに行きました。

なんかもう、色々想像を越えすぎてしんどかったです。
先ほどは「ライトなファン」と言ったものの、櫻坂46の、特に1期生のメンバーは中々ハードな歴史を歩んでいるというのは私自身一般教養として把握済みですので、その欅坂時代の楽曲や最後の「僕のジレンマ」で一期生が卒業する渡邉理佐に駆け寄り肩を寄せ合うシーンでは普通に号泣しました。もうメンバーの
歌声が涙で震えているのがマイク越しに分かるんですよね。
私は基本ドラマや映画、小説では絶対に泣かない、何なら実生活でも最後に泣いたのいつだろうというくらい涙腺の砂漠化が進んでいる人間なのですが、そんな私がもう立っていられないくらい号泣したのですから、ガチオタの方達は恐らくミイラ一歩手前くらいまで涙を枯らしたはずです。

そんな風に終わった私のライブ参観なのですが、問題はここからです。

卒業した渡邉理佐のことを考えると激しい喪失感に襲われてしまい、翌日の仕事に手がつきません。
これがいわゆる「ロス」と言われる状態なのでしょう。
この時、私は渡邉理佐が私にとっての「推し」だったのだと自覚しました。
後悔先に立たずとはまさにこのことで、もっとライブや握手会に応募しておけば、もっとグッズを買っておけばという思いは募るばかりです。
とりあえず今は過去のブログやMVを見漁ることで延命措置を講じていますが、それも時間の問題です。
この薬が切れたが最後、私は再びもう手遅れなんだという現実を突きつけられ、絶望するのでしょう。

そう考えると、日々ドルオタやアニオタとして活動する方々は私の何十倍も賢いんだなと実感しました。
彼ら/彼女らは私のように「後の祭り」に参加することにならないよう、自分の中の熱が冷めないうちに、そして公式からのリアルタイムの供給が途絶えないうちに心の底から祭りを楽しもうとしているのでしょう。
私のように日々なんとなく
好きなものをはっきりと好きと認識することなくコンテンツを消費するより、自分が好きなものについて内省し、それを謳歌していく生き方の方がよほど人生の満足度は高いでしょう。オタクたちが一心不乱に推しを応援し、グッズを買い漁るのも今となっては大いに納得。是非そうしてくれという気持ちでいっぱいです。私もそれに倣いもう少し自分の好きなものをはっきりと見つめ直したいですね。

とりあえず、これからは森田ひかるを追っていこうと思います。

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