自由と牢獄

十分に光の行き届いていない薄暗い廊下、ゴツゴツした石床、湿った空気。
そして何よりあちらとこちらを隔てる無機質な鉄柵。
はこの国で重犯罪を犯したものだけが入れられる独房にいる。
一日三食質素な食事が与えられ、徹底的に管理されたスケジュールで労働や運動を強いられる。起床時間や消灯時間も決められている。
私のことを哀れに思うだろうか。

否、それは見当違いだ。
私は自分の意思でこの部屋にいる。私自身、何も悪いことはしていない。
つまり罪を偽装し、好き好んでこの独房にいるのだ。
もちろんこのことはごく一部の、数少ない知人とこの牢獄の獄長しか知らない。

彼らは口を揃えてやめておけと言った。ついに気が触れたと思ったらしい。
だが私に言わせれば、おかしいのは外の世界にいる君たちだ。
まず、外の世界には人間関係がある。親しいと思っていた友人の間にも、実は社会的な立場、共有している思い出、価値観の相違等々、数え出したらキリがないあまりにも複雑な変数から決定される「友達ランク」がある。
ランクが高ければ結婚式にも呼ばれるし、誕生日も祝われるが、そのランクは時間と共に変わっていく。非常に面倒なことこの上ない。
友人間ですらこれなのだから、仕事上の人間関係なんてもっと面倒だ。ただ入社した日が先だと言うだけで偉そうにする上司や今風で気の利かない後輩のタメ口。色々なことでささくれができていく。
そしてそもそも、生きていくのにお金がいるというこの社会システム自体、私は同意した覚えはない。確かにお金があれば自由が買える。好きな飯が食えるし、趣味の幅も広がる。自分の人生を謳歌できるやつにとって、これ以上のシステムはないだろう。努力すれば努力した分、好きなものを選び取れる。

じゃあ人生を謳歌しなくても良いと思っているやつにとってはどうだろうか。数ある選択肢があるなか、なんでもいいと思っているやつはどうだろう。
別に私は毎日同じ質素な飯で良い。無理して人に合わせるくらいなら、一人で黙々と生活していければいい。適度な運動と労働、慎ましやかな生活空間。大いに結構じゃあないか。
別に自分のことを惨めなやつだと思ったことはない。いや、そう思っていた時期もあったが、私には外の世界の人々のような、自由を強いられる暮らしは息苦しいんだと気づいた時、気持ちが楽になった。
私は何も一万の選択肢が欲しいわけじゃない。ただ一つの最適があればいいんだ。

その最適が、私にとってはこの暮らしだった。要するにただそれだけのことだ。

私はこの牢獄にいる権利を金で買った。それこそが唯一私が欲しかったものだ。その点については資本主義万歳である。
だがもう金はいらない。ここには全ての世界がある。平穏で、ストレスからシャットアウトされた暮らし。
巷では人工知能がどうのこうの言っているようだが、人工知能さんよ、どうか哀れな人間に変わり、あらゆる経済を回し、あらゆる最適解を見つけ、あらゆるしがらみを濁流の如く押し流してくれ。

どうか人類をというプレシャーから解放してやってくれ。
その暁には、私もこの牢獄から喜んで顔を出そう。

さぁ消灯時間だ。また明日も明後日も、同じような今日が待っている

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